
18年前に江戸川区一之江で瑞江大橋こども診療所を開設すると同時に、マスコミとのおつきあいをきっぱりとやめてしまったので、私の名前はすっかり忘れ去られてしまいましたが、今でも育児に関する知識や経験には自信を持っています。それら私の小児科医としての財産をブログを通して皆さんに知っていただこうと「育児講座」の連載を始めようと思います。
育児講座とはいっても決して堅苦しいものではありません。また、直接育児に役立つような知識というわけでもありません。世間でまかり通っている育児の情報に「ホントかいね?」と疑問を投げかけ、ちょっとした考え方の変化で育児が楽しくなるようなそんな記事を掲載していくつもりです。
第1回の今日は、この育児講座が目指すもの、そして読んでくださる方にお願いしたいことなどをまとめたものです。タイトルは「せんもんかのはなし」(専門家の話)です。
最近フォーラムという言葉をよく見聞きします。なんでも、フォーラムっていうのはもともとはギリシャ語で「井戸端会議」という意味なんだそうです。この井戸端会議は古代ギリシャで始まったものだそうですから、プラトンとかソクラテスといった哲学者がペチャクチャ井戸のまわりでおしゃべりしていたのかもしれません。日本でもフォーラムといえばその道の専門家らしい人たちが集まっていろいろな意見を出し合う、何かとっても洗練されたもののように感じます。だからフォーラムで述べられる意見というのは、見識の深い、正しいもののように思ってしまいます。もしこれが井戸端会議ということになれば話は全く違ってきます。「あなたはそういうけど私は全然違う意見なのよ」とか、「口ではうまいこというけどそんなことありっこないわよ」とか、とにかく相手のいうことをそのまま信じない、ときには「まゆにつばをつけてはなしを聞く」(「ホントかいね?」)という態度が生れそうな気がします。
そういう態度の人々に向かって自分の考えを理解してもらうというのはとても苦労のいることです。でもそれが本来の「古代ギリシャのフォーラム(井戸端会議)」だったのではないでしょうか。
そしてそれが可能だったということの根底には、相手のいうことを自分で納得がいくまでは絶対信用しないけれど、かといって力ずくで相手の説得を妨害したりはしない、そして説得する側は相手が本当に納得するまで懸命に説得するという暗黙のルールがあったように思います。暗黙のルールで結ばれた心のつながりがあったと思うのです。
さて話は大きく変わりますが、ここで日本の子育て界をながめてみましょう。
1990年代に胎児や新生児の発達を研究する学問が大きく進歩しました。その中から「新生児行動学」とか「母子相互作用」という言葉(理論)が専門家の研究から生まれてきました。
その当時育児の世界を覆った呪文みたいな言葉が「3歳までは母の手で」でした。理論としては正しいのかもしれません。でもそうすることのできない多くの人が困ってしまいました。その理論に従えば女性は赤ちゃんを連れてでなければ社会進出の道を閉ざされてしまうでしょう。しかし誰もまっこうから反対の理論を出せずにいました。「納得がいかないから納得がいくまで説明して」と言えないのです。何しろ相手は「せんもんか」なのですから。
「せんもんか」と呼ばれる人々は科学を武器にしています。科学というのは、まず事実を注意深く観察して、物事の法則をみつけることが使命です。「風が吹けば桶屋がもうかる」という事実があれば、なぜ桶屋がもうかるかという説明づけをすることです。それさえできればその説明は一応科学的といってよいのです。でも、風が吹いてももうからない桶屋がいたとしたら、それはその理論が間違っていたということになります。科学の世界では風が吹いたらすべての桶屋がもうからなくてはならないのです。
「3歳まで母親が育てないと子どもの情緒がゆがむ」という事実があったとします。そして「せんもんか」がそれを科学で説明したとします。とすれば、3歳まで母親に育てられた子はすべて情緒が安定しなければならないし、3歳まで母親に育てられなかった子はすべて情緒不安定にならなければならない、それが科学なのです。
「いや、子どもの情緒というのは一つの原因で決まるものじゃないから。」とか「我々はいくつかの可能性の一つを説明したにすぎない。」そんな弁解が「せんもんか」の側から出てくるかもしれません。たしかに私のいう科学というのはとても狭い意味、とても厳しい科学観かもしれません。でも、いやしくも科学という武器を使う人間はそれぐらいの厳しさを持ってほしいのです。それが厳しすぎるというのなら、私達は「せんもんか」の話を聞くときに「ホントかいね?」と言えるぐらいの心の余裕を持ちたいじゃないですか。そして「せんもんか」にも「3歳まで母親に育てられなかった子の情緒を安定させる方法」まで考える心のやさしさを求めたいじゃないですか。
もう一度「風が吹けば」の話に戻りますけど、「風が吹けば」と「桶屋がもうかる」の間には、無限の可能性があるのです。それにときには風が吹いてももうからない桶屋さんだって出てくるのです。風が吹いたら何とかすべての桶屋さんがもうかるように祈り、そしてもうからなかった桶屋さんがいたら同情する。それが人間らしいということじゃないでしょうか。この「育児講座」は、そんな人たちの井戸端会議になりたいのです。
そこに、専門家の話を鵜呑みにするのではなく、自分なりの育児を楽しめる環境というものが生まれてくるような気がするのです。もちろん、私の話も「ホントかいね?」で聞いてくださいね。
今回からの連載はもともと15年ぐらい前に書いた原稿がもとになっていますので、最近の育児情勢とはちょっと違った話題が出てくるかもしれませんが、育児というものはずっとずっと昔からみんなが同じようなことを繰り返してきたことなんだから、本質的なことはそう変わらないと思います。
また、流行にとらわれない、しかも、古すぎる伝統にしばられない日本固有の育児というものがあってもいいと思います。この連載を通してそんなことを感じ取っていただけたらと願っています。