2015年05月07日

育児講座5「しつけられない」

oxfam.jpg 育児講座とはいっても決して堅苦しいものではありません。また、直接育児に役立つような知識というわけでもありません。世間でまかり通っている育児の情報に「ホントかいね?」と疑問を投げかけ、ちょっとした考え方の変化で育児が楽しくなるようなそんな記事を掲載しています。


第5回 「しつけられない」

 3歳児健診の会場で「うまくしつけができないんです」という相談を受けることがあります。今回はしつけについて考えてみます。

 「しつけ」は漢字では「躾」と書きます。この字を若い人に読んでもらったら「エステティック」と読んだ人がいたそうです。漢字ではなくて「感字」ですね。

 確かに、「身」が「美しく」なるのですから、エステティックでもあながち間違いではなさそうですが、そもそもの間違いは「身」の意味を「からだ」と取ってしまったところにあるのです。この「身」は「み」、「実」の「み」なのです。虚実の実、皮をむいて実を食べるの実なのです。「中心にある本当のもの」という意味なのです。

 無駄な贅肉が取れ、小じわもなくなって美しくなるのが「エステティック」、人間の中心にある本当のものが美しくなるのが「躾」なのです。

 一方、「しつけ糸」というのがあります。裁縫などで、本格的に縫うわけではないけれど、本格的に縫うときの方向づけをするために縫い目のそばに大ざっぱに縫いつけられる糸のことです。このしつけ糸を縫いつける作業を「しつけ縫い」といいます。

 そうすると、人生の大ざっぱな(いい加減という意味ではありませんよ)方向づけをすることも「しつけ」と言ってよさそうです。

 ここで以前にも触れた「トイレット・トレーニング」に再登場してもらいましょう。

 トイレット・トレーニングは、育児書などでは「しつけ」の項目に入れられています。よく「排泄のしつけ」なんて書いてあります。ではおむつがはずせると、その子の中心にある本当のものが美しくなるのでしょうか?その子の人生の大ざっぱな方向づけができるのでしょうか?まあ一般的にはおむつをしている大人はいませんから、大人の仲間入りという方向づけはできるかもしれませんが・・・。

 今、日本の育児界では、しつけとトレーニングが混同されているように思えます。しつけもトレーニングもすべて大人がこどもに働きかけてするものだという混同です。人に働きかけてその人を導く、あるいは上達させるのはトレーニングだけなのです。しつけは働きかけるものではありません。見せるものなのです。よく「親の背中を見てこどもは育つ」といいますが、しつけとはまさに親の背中を見せることなのです。社会全体でこどもを育てるという合意があれば、世の中のすべての大人がこどもたちに背中を見せることなのです。こどもたちは親や大人の背中を見て、それについていくことで、自分の中心にある本当のものを美しくもし、人生の方向づけもするのです。

 こう考えると、こどものしつけを考える前にまず大人自身が自分の中心にある本当のものを美しくし、自分の人生の方向づけをもっていなければならなくなってしまいます。そのために大人たちは自分たちの親の世代の背中を見てきたはずです。そしてその親たちもまた自分たちの親の背中を見て育ったはずです。こうしてしつけとは親から子へ、子から孫へと自然に受け継がれていくはずのものだったのです。少なくとも明治維新から先の敗戦までは・・・。

 何しろその時代というのは「天皇陛下、万歳!」ですべてカタがつく時代だったのですから、この継承はいともたやすく行われていたのです。どの親の背中を見ても、そこには「天皇陛下、万歳!」と書かれていたのですから・・・。

 さあ敗戦のあとは大変です。親の背中に描かれていた「天皇陛下、万歳!」の価値観は崩壊し、さらに価値観の多様化が進み、親はこどもに見せるべき背中を失い、こどもはついていくべき親の背中を失ってしまったのです。

 このような時代には、背中からこどもに伝えるしつけなど存在するわけがないのです。だから、トレーニングと混同して、こどもに働きかけて何かをさせようとするのです。トレーニングといえば聞こえはよいのですが、私に言わせれば、今世の中で行われているのは調教です(このことは前にも触れました)。このような現実はこどもにとっても、また調教している大人にとっても不幸です。そろそろ新しい背中を大人たちは創造しなければなりません。敗戦後70年にもなろうという今、 そろそろ新しい背中を創り上げることのできる時期に入っているはずです。

 敗戦後の70年が価値観の多様化を進める時期だったとすれば、これからは押し付けでない価値観の共有を進める時代です。それぞれの親がそれぞれの価値観で新しい背中を作ればそれでいいのですが、それはそれでシンドイことですし、社会全体で子どもを育てることの必要性を再認識してくれる人々なら、多様な価値観を認め合った上での価値観の共有ということも理解してくれるはずです。

 決して自分だけでしつけようとしないことです。今回は「あの子もこの子もみんなの子」ではなくて「あの親もこの親もみんなの親」です。




posted by YABOO!JAPAN at 01:00| Comment(0) | TrackBack(0) | こども診療所育児講座 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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