
第10回 「早期教育 パート2」
前回のこの講座では、子どもの発達、あるいは広い意味での教育を考える上で、「引き出す」と「付け加える」という2つのキーワードを提示しました。今月はさらに「失う」というキーワードを追加して話を続けてゆきたいと思います。
前回も引き合いに出しましたが、日本人の子どもでも、外国で生まれ、育てば、その国の言葉が自由自在に話せるようになります。日本人だから日本語しかしゃべれないというわけではありません。もし、火星語というものがあったら、火星で生まれ、育った子は火星人の言葉だってしゃべれるでしょう。子どもの言葉の能力には無限の可能性が秘められているのです。その可能性を引き出すところに教育の意味がある、ということも前回お話しました。
日本の国際化が進んで、2か国語や3か国語を話せる子どもも決して珍しいものではなくなりました。5か国語や7か国語というと今でもびっくりさせられますが、いずれにしても言葉に関する無限の可能性の中から複数の言葉が引き出された成果はすばらしいものがあります。
でもへそ曲がりな見方をすれば、もっと多くの可能性の中から、それだけしか引き出されなかったということでもあります。引き出されなかった多くのものを失ったということでもあるのです。
無限にあるもののすべてを引き出すなんて不可能だといわれるでしょう。そうです。不可能なのです。だから子どもたちは多くのものを失うのです。子どもの成長や発達というのは、実は何かを獲得することではなくて、何かを失うことだと気づいてほしいのです。地球語、宇宙語全部しゃべれたはずの赤ちゃんがそのほとんどを失って、やがて一緒に暮す大人たちとの共通の言葉だけしかしゃべらないように成長したんだって考えてほしいのです。そして言葉だけでなく、私たち大人が子どものためにと何かを選んだとき、子どもは選ばれなかった多くのものを失うということに気づいてほしいのです。
失うのだったら、なるべく遅いほうがいいかもしれません。
「そんなことはない。成長してからでも多くの言葉を身につける人だっているじゃないか。」
そんな反論も聞こえてきます。でもこれは身につけるのであって、引き出すのとは違います。付け加えているのです。
「引き出そうが、付け加えようが、子どもの能力が高まることに違いないじゃないか。能力が高まることによって、子どもはきっと幸福になれる。」
多分そうでしょう。能力が高いことによって、その子は多くの利益を享受できるでしょう。そして幸せを感じるでしょう。近い将来なら、幼稚園や小学校・中学校の入園・入学試験には有利に働きそうですし、そのまま進めば高校・大学の入試にも有利かもしれません。いつも先へ先へと目を向けるのが早期教育の宿命なのですから…。
この「先へ先へ」ということが子どもの「今」を踏みにじっていることも、「失う」ことと同じように忘れられがちなことです。
子どもには「今」しかありません。「今」だけを貪欲に楽しんでいます。子どもは飽きっぽいといいますが、あれは飽きるのではなくて、「今」を一番大事にして、「今」を思う存分満喫するから、子どもは過去へのこだわりも見せず、いつでもニコニコしていられるのです。未来への不安もなく、力強く成長できるのです。
こんなことをいうと、必ず反論が出ます。
「子どもは今のことしか考えない。だからおとなが未来のことを考えなければ…」と。
この反論には一理あります。でも、とても傲慢な考えだと思います。おとなたちが子ども自身の未来を考えるのだったら、子どもの人格を無視することになります。子ども自身の未来は子ども自身に決めてもらえばいいのです。
おとなたちが考えなくてはならない未来というのは、子どもたちが将来大きくなって暮らしていく環境、この地球の未来ではないでしょうか。
どうも最近の早期教育熱を見ていると、子どもの無限の可能性を花開かせること、子どもの未来をバラ色に輝かせ、大きな夢を用意するためには、「将来のため、未来のため」とかけ声をかけながら、子どもにとってもっとも大切な、そして子どもたちの一番好きな「今」をどんどん奪い去って、「過去」をどんどん作り出しているように思えます。「過去」という言葉ほど子どもに似合わない言葉はないでしょう。