
第18回 「〇〇できますか?」
こどもを産んだことのある方なら、母子健康手帳、略して母子手帳を必ずお持ちでしょう。そして母子手帳の各ページには、それぞれの月齢・年齢に見合った質問が並んでいます。それぞれ自分のこどもの成長や発達の度合いを確認できるようにとの親切心からです。
母子手帳に限らず、健診なんかに行くと、保健師さんからそれぞれの月齢・年齢に合わせて、「〇〇してますか?」とか「〇〇できますか?」って質問されます。
今の母子手帳にはありませんが、以前のには、「声を出して笑いますか?」という質問があって、「うちの子、声を出して笑わないんですが・・・」という質問をまじめに受けたことがあります。診察をすると確かにその子は声を出さずに「ニヤッ」と笑う子でした。
「〇〇できますか?」って権威をもって質問されると、その通りでないとそれだけで失格みたいな気分になってしまうようです。
さらに1歳を過ぎると、「積み木を2個積めるか」とか「積み木を5個以上積めるか」なんていう質問もあります。積み木を何個積もうがその子の勝手だし、世の中には積み木は積めないけど、金の延べ棒だったら上手に積める子だっているかもしれません。もちろん、金の延べ棒をおもちゃにできるならの話ですが・・・。
どうもこの手の質問には、それが発達の条件みたいな脅迫めいた点と、押しつけがましい点があるようです。
脅迫めいた点について、私の友人の小児科医がおもしろいことを言っています。「だいたいその月齢でできそうなことだけ並べてるから、百点満点じゃないと不安になっちゃう。質問の中に普通じゃできそうもないことを加えればいい。たとえば、6か月の子には『逆立ちできますか?』とかね。もしほんとにできる子がいたら、『ウワーッ、天才だ!』って言ってやりゃいい。そうやってできそうなこととできそうもないことを一緒にしておけば百点満点じゃなくても誰も気にしなくなる。」まさに名案だと思います。
さて、次には押しつけがましい点ですが、健診そのものが押しつけがましいと言ってもいいと思うんです。
たとえば、3・4か月健診で必ず確認する首のすわりとか股関節の開きぐあいです。診察をするほうは、首のすわった赤ちゃんなら両手を持って引き起こせば必ず首もついてくるという前提で診察します。でもそのとき赤ちゃんがデレンとして寝ていたいのを無理やり引き起こされたとしたら、決して首を起こそうとはしないでしょう。
股の開きぐあいを見るのだって、赤ちゃんが「初対面の大人になんで股を開いて見せなきゃいけないの?」なんて考えたら、きっとからだを固くしてしまいます。その結果「股節開排制限、要精密検査」となります。
ことほどさように、健診の場では、赤ちゃんは診察者の意向に沿った行動が要求されているのです。そのときの赤ちゃんの気分なんて全く度外視されているのです。「あなた、遅刻するわよ。」と言われたら、亭主はすぐに起きてこなくてはいけないのです。
かといって、赤ちゃんがその気になるまでずっと待っていたり、赤ちゃんのお気に入りのおもちゃで発達の様子を知ろうとしたりすると、一日かかっても一人の赤ちゃんの診察すら終わらないかもしれません。これもまた困ったことですから、どこかで基準を作ることもやむをえないでしょう。
では健診を受ける側はどういう態度でいればよいでしょう。
健診や母子手帳では運動の「発達」という観点から質問がなされています。運動の「向き・不向き」や「器用・不器用」や「好み」という観点がありません。質問者からは「それほど高度な運動を要求してはいない」と言われるかもしれませんが、高度ではなくても不得手な種目というのは誰にでもあるのです。小学生の頃、走るのは一番だけどどういうわけか跳び箱は絶対跳べないなんていう子がいませんでしたか?
私自身、小学生の頃からスポーツは大好きで、小学校対抗のソフトボールの試合に学校代表として出場したことがあるくらいですが、鉄棒の逆上がりができるようになったのはクラスでビリから2番目でした。鉄棒が大の苦手だったのです。でも誰も私の発達が遅れてるなんて言いませんでした。
世の中が、「発達」という狭い視野でしかこどもを見なくなっている今こそ、こどもをいろんな角度から見ようとする努力が要求されているのではないでしょうか。