月曜日は医学講座の日。
なぜなら人間のからだを示す漢字には
月(肉づき)のつくものが多いから。
脳・肺・肝・腎・腕・脚・腰・腹・骨・・・・・。
あなたはいくつ書けますか?
《お詫び》
集中連載4をアップし忘れたことに今日気がつきました。
予定されていた4月7日の日付でアップしました。
その日付に戻ってご覧ください。
お詫びいたします。申し訳ありませんでした。 スギ花粉症が抗原抗体反応の一種であるアレルギー反応によって起こるという、どなたもご存じの基本から「なぜ近年花粉症、そしてこどもの花粉症(そっくりの病気)が増えているのか?そしてまたそれにどのように対処すればいいのか?」を考えています。そして今回がその最終回になります。
前回は「自然はもう人類を仲間とは思っていない。そして何でもかんでも科学を武器にして自然と闘っていては逆に人類が苦しむだけではないか」という私の考え方をお話ししました。だったらどうするのかということでしょう。そうでないと「喘息やアトピー性皮膚炎や花粉症で苦しんでいる現在のお子さん達をそのまま見捨てるのか?」とおしかりを受けてしまうでしょう。
現在アレルギー性疾患で悩んでいるお子さんを見捨てるようなことはいたしません。私も最新のアレルギー治療に関する情報をよく勉強しているつもりです。「今は今のやり方でやりましょう。そして未来に向かってどのようにしたら自然と人類が共存できるようになるのか考えていきましょう。」ということなのです。
ちょっと汚い話で恐縮ですが、私がこどもの頃には寄生虫なんてのはいて当たり前みたいな話で、私自身便の中に蟯虫がウジャウジャいるのを見た記憶がありますし、弟のおしりから回虫が出てきたのを目撃した記憶もあります(キタナクテスミマセン)。
寄生虫のいる人の血液検査をすると、好酸球という種類の白血球が増えていて、IgEというアレルギーに関係するグロブリン(抗体)も高値を示すことが知られています。アレルギー疾患の方の血液検査でも同じこと(好酸球が多くてIgEが高い)が言えます。そして寄生虫が多かった時代にはアレルギー疾患は少なく、寄生虫が少なくなった(ほとんどいなくなった)現代ではアレルギー疾患が増えているという事実があります。
ここで注意が必要なのは、寄生虫が少なくなったからアレルギー疾患が増えたのかどうかはわからないということです。もしかしたら因果関係があるかもしれないし、もしかしたら偶然そうなっているだけかもしれないのです。このことはまだ解明されていません。
もう一つ面白いことがあります。アレルギー対策を訊かれた専門家の多くが「適当に不潔であること」が必要だと答えます。さすがに寄生虫が増えたほうがいいと言う専門家はいませんが、あまりにも潔癖すぎる環境(今の日本ではそれが求められすぎていると私は思っています)では、ちょっとでも不潔なものはとても目立って、すぐに「ヨソモノ」のレッテルを貼られてしまいます。ヨソモノに対してはアレルギー反応を起こしやすいというのが現代人の置かれた立場であることは今までにお話ししてきました。
適当に不潔な環境では清潔なものから不潔なものまで雑多なものが入り交じっていますから、どこまでが身内でどこからがヨソモノなのかの判別は簡単ではありません。したがってアレルギー反応も起きにくいということは推測できます。

この「雑多なものが入り交じっている」ということが私たちの目指すべき未来であり、本来地球上がすべてそのようになっていた自然の姿なのだと思います。これを生物学的多様性といいますが、近年誰にでもわかりやすいように生態系という言葉のほうが多く使われるようになっています。そしてこの生態系をまもる学問が生態学=エコロジーです。今はやりの「エコ」とは似た点もありますがちょっと違います。
ところで「エコ」といえば「地球にやさしい」が合い言葉のようになっています。そして地球温暖化への危機感の高まりから「人類の棲めない地球になる前に」という言葉も「エコ」の宣伝文句のように使われています。「エコ」という言葉自体ががそういう意味(人類を中心に置いて地球を守ろうという意味)なのだというならそれは許せます。しかしこれは本当の意味でのエコロジーでも生態学でもない言葉だとしかいいようがありません。
雑多なものが入り交じって生息し、生物学的多様性がまもられている自然な姿の中で、そこに存在するすべてのもの一つ一つに、今あるままのそのままの姿で価値を認めて大切にする。

これがエコロジー=生態学の出発点なんです。そしてすべてのものが対等の価値を持つ中であるものは生き残り、あるものは死滅していく、それを人類の意志ではなく、生命の意志として見守っていく、それこそがエコロジー=生態学なんです。
地球上の生物学的多様性をその知恵によって破壊してきた人類、多様な生物の価値というものをその知恵によって勝手に順位付けしてきた人類、そしてその価値の順位の頂点に人類を置いた人類、そして今その頂点に立つ人類が棲める状態で地球をまもろうという「エコ」のどこに地球に対するやさしさがあるというのでしょうか?人類のためのエコロジー(=「エコ」)なんて存在しないのです。
な〜んて、話が大きくなりすぎましたが、+(プラス)の価値観だけを重視して発展してきた20世紀的な発想をやめて、今まで無視してきたー(マイナス)と思われる事物にもそれなりの価値があることを認め、雑多な価値を持つものが混沌と入り交じって存在するような、つまりどこまでが身内で、どこからがヨソモノかよくわからないような世の中が実現すればアレルギー疾患も減るのではないでしょうか?

なぜならそのような世界は人類も含めてすべての生き物にとって生きやすい(価値を認められる)、まさにエコロジカルな地球だと思うからです。「地球にやさしい」なんていう思い上がりはやめて、「地球がやさしい」を実現するにはどうしたらいいのか、一人一人が真剣に考える必要があると思います。
いつやるか?
今でしょう!(ちと古かったですかね)
集中連載は今回で終了です。ご愛読ありがとうございました。
posted by YABOO!JAPAN at 17:20|
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