2007年07月20日

さよなら昭和の風景

 金曜日は鉄道の日。なぜなら鉄道の鉄の字は「金」ヘンだから。

train12.jpg 小さなスペースでも列車を走らせられるようにとNゲージを選びましたので、最初に私が買ったレールはTOMIXのスタートセットでファイントラック曲率半径140mmのカーブレールとストレートレール何本かにパワーパックがついたものでした。このレールでEF58列車を走らせようと思いましたがとても無理でした。カーブがきつすぎるのです。そこで、今度はスタートセットではなく単品でKATOのユニトラック曲率半径300mmのカーブレールとストレートレール、それにパワーパックを買ってきて走らせますとどうにか様になってきました。

train11.jpg でもC58牽くところの列車を同時に走らせるとほとんど数珠繋ぎ。それじゃあ直線を長くしようとストレートレールを買い足しましたが、EF58とC58とではメーカーが違うのでスピードが全く違います。現実とは逆でC58のほうが圧倒的に速いのです。すぐに追いついてしまって長時間のロングランなどとてもできません。

 そこでもう一周エンドレスレールを敷いて、それぞれにEF58とC58を走らせることにしました。それで購入したのがユニトラックのスタートセットの単線高架線路です。高架のあるほうを幹線(東北本線)とみなしてEF58列車を走らせ、元々のほう(両毛線)にはC58列車を走らせるようにしました。パワーパックは一つしかありませんからフィーダー増設器を買って2つのエンドレスレールをそれぞれ別の列車が走るようにしましたらロングランが楽しめるようになりました。

 人間の欲望というのはきりがないもので、2路線ができると時々は相互乗り入れがしてみたくなります。それでポイントを買ってきて、ポイントを動かすためにフィーダー増設器を買い足して、2つの路線の相互乗り入れができるようになり、とりあえずは取り外し式のレイアウトが完成しました。

 だがなんとexclamation×2、このレイアウトのサイズは70cm×200cmの巨大レイアウトになってしまっていたのです。今は準備期間で着脱自由のレイアウトですが、夢は昭和の風景の中を旧国鉄車両が走る固定式レイアウト。とはいえ、このサイズでは固定式レイアウトが作れようはずもありません。置くところがありませんから…。かくして鉄道少年の夢を走らせるはずだった昭和の風景レイアウトの夢ははかなくも消え去っていったのでありました。(よく消え去る夢だね)


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2007年07月13日

鉄道少年の夢再び

 約40年前、私の大学入学とともにはかなく消えていったend鉄道レイアウトへの夢が再びよみがえりましたon。きっかけは今年の2月から3月にかけてNHK教育テレビTVの「趣味悠々」という番組で放映された「ようこそ鉄道模型の世界へ〜レイアウト制作入門〜」です。退職後の趣味探しをしている団塊の世代向けであることが見え見えの番組でしたが、団塊真っ只中の私は見事にはまってしまいました。「よしっひらめきもう一度レイアウト作りに挑戦しようexclamation×2」、あっという間に決心した私は、ネットサーフをしたり、amazon.co.jpで鉄道模型の本を探したりしながら、スペースのことを考えて、Nゲージに入門することにしたのです。

 まずは車両とレールとパワーパックがなくては話が始まりません。車両は何にしようか?もちろんローカル線(旧国鉄両毛線)のC62と私が勝手に思いこんでいたC58を置いて他にありません。C58はネット通販(KATO)で買いました。レールとパワーパックは銀座天賞堂(何十年ぶりだろう)で買ってきました。これでとにもかくにもレールの上を蒸気機関車が走るようにはなったのです。

 でもたった1台の車両が楕円形のエンドレスレールを走っているだけではちっとも面白くありません。もう一つ欲しくなった私が次に選んだのは、その昔電化されたばかりの東北本線を颯爽と走っていた電気機関車EF58です。でも茶色のEF58を単体で売っているところがありません。色々探したあげく、茶色のEF58とオハフ46系客車2両にトラ90000という貨車を観光用客車に改造したトロッコ列車3両がついたMICRO ACE社のセットをネットで見つけて買いました。この列車は1987年から飯田線豊橋=中部天竜間で実際に走っていたそうですが、東北本線には走っていませんでしたから、トラ3両猫猫猫はいつも箱の中。オハフ2両だけ引っ張って走らせていましたが、EF58で客車2両はあまりにも淋しいもうやだ〜(悲しい顔)。始めに銀座天賞堂に行ったとき、店員が「舞浜のエクスピアリの中にも店がありますよ」と言っていたのを思い出し、江戸川からならそう遠くはないので出掛けてみましたダッシュ(走り出すさま)。そしたらKATO製のオハ47系茶色の客車を売っていたので3両買ってきました。客車5両を牽かせるとEF58のプライドもようやく落ち着いたようでしたわーい(嬉しい顔)

train01.jpg ところがそうなると今度はC58がかわいそうです。そこでもう一度舞浜天賞堂へ行ったら、戦前型のオハ31(2両買いました)とオハニ30、それになんとがく〜(落胆した顔)オロ30までも見つけてしまったのです(すべてKATO製)。今では普通車・グリーン車と呼ばれていますが、私がこどもの頃は一等車(イ)・二等車(ロ)・三等車(ハ)というランク付けで、二等車に乗るのが夢黒ハートでしたが一度も乗れませんでした。一等車なんて夢のまた夢、乗りたいという希望さえもわかないぐらいの雲の上の存在でした。というわけでその昔両毛線を走ったであろう4両編成の(両毛線では二等車は連結されていなかった)列車が完成したのです手(チョキ)

 EF58とC58、二つの機関車に牽引された2編成の列車が写真です。そしてこれらの列車を走らせるレールがどうなったかは次回(来週金曜日。金曜日は鉄道の日。なぜなら鉄道の鉄という字は金偏-カネヘン-だから。)のお楽しみ。
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2007年05月15日

夢のレイアウト

circulation.jpg  高校時代の3年間、私は生物部に所属していました。田舎の開業医の長男として生まれた私は小さい頃から周囲の人たちに「跡継ぎ」ぴかぴか(新しい)といわれていたので(カッコイイ〜)、大学は医学部へ進学するものと自然に思いこんでいました。その準備のために生物部に入部した…な〜んてことはありません。生物部の顧問の先生が山好きで、夏休みに遠征と称して尾瀬やら南アルプスやら安達太良山系に連れてってくれる、それにつられて入部したわけで、植物採集をした経験も昆虫採集をした経験も全くありませんでした。

 毎年秋には文化祭なるものが開催されます。生物部も当然出展するのですが、不純な動機で入部した私は、1年の時は先輩のお手伝い、2年の時は仲間が採集した昆虫や植物をポリマー樹脂に封じ込めて(観光地で透明なプラスチックの中にチョウチョなんかが入ってるのを売ってるでしょ)展示即売(先生には内緒)と生物部とは無縁に思われるようなことばかりやっていました。

 そして3年生になって思いついたのが「文化祭で汽車を走らせちゃおうひらめき」でした。いくら何でも普通のレイアウトを作ったのでは生物部になりません。いろいろ考えたあげくに考案したレイアウトが写真です。

 えーっexclamation&question、これって鉄道というより人間の体じゃん、と思うでしょう。そうです。この、心臓から全身へ、全身から心臓へ、心臓から肺へ、肺から心臓へそして再び全身へという血液の流れに沿ってレールを敷き、酸素と二酸化炭素を運ぶ貨物列車を走らせちゃったんです。

 まずベニヤ板に下絵を描き、レールを敷きます。血管が交差するところは立体交差にして、肺と全身には駅を作ります。ここで酸素と二酸化炭素の交換が行われるのです。一番苦労したのは心臓の内部です。線路がクネクネと曲がってきれいに固定することが難しかったのです。しかも曲率半径(カーブ)がとても小さいので、私の所有している機関車では大きすぎて走りません。しかたなくなけなしの小遣いを握りしめて上京し、銀座天賞堂で一番小さなタンクロコ(Bタン)の完成品を買ってきて文化祭当日に間に合わせました。

 会場で血液列車を走らせ、一番喜んでいたのはもちろん私です。写真も撮りましたが、40年も昔のことで今ではどこにあるかもわかりません。レイアウトは私が大学に入って東京に下宿するようになってもしばらくは実家の部屋の片隅に立てかけてあったのですが、ある年の夏休みに帰郷するとなくなっていました。母に聞いたら「○○ちゃんがほしいって言うから全部あげちゃったわよ」と冷たい返事。パワーパックもレールも全車両もろともすっかり消えてなくなっていました。

 かくして鉄道少年の夢ははかなくも消えていってしまったのでした。もうやだ〜(悲しい顔)
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2007年05月14日

鉄道少年の夢

 鉄道少年は当然のことながら鉄道模型にも興味を持つようになりました。、きっかけは小学校5年生の春。転校してきたI君の家でOゲージの蒸気機関車を見せてもらって、その精密さと迫力に感動し、親にねだってOゲージ入門セットを買ってもらって以来です。

 鉄道少年がそれまで知っていた模型の蒸気機関車というのは、模型というのもおこがましいチャチなもので、しかも電源内蔵の自動走行、つまり電池を積んで勝手に走るということ。この世にこんな精密な、しかも速度や進行方向を自由にコントロールできるオモチャがあったのかと、まさに目から鱗の出来事でした。

 その後中学校に入ると、新たに知り合ったA君の持っているHOゲージのほうが狭いスペースにたくさんのレールを敷けるのを知って、HOゲージに乗り換えたのですが、さすがに中学生ともなると親にねだってもホイホイと買ってくれるものでもなく、仕方なく小遣いを貯めては日曜日に日帰りで上京し、神田須田町(カワイモデル)・銀座四丁目(天賞堂)・泉岳寺(カツミ模型店)・大塚仲町(つぼみ堂)と当時人気の鉄道模型店をはしごして、わずかばかりの小遣いを使い果たして帰ってきたものでした。

 多くの鉄道模型ファンの夢がそうであるように、私の夢も自分で設計したレイアウトを作ることでした。その夢が実現したのは鉄道少年高校3年生の秋のことでした。そのお話はまた次回をお楽しみに!
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2007年05月13日

昔ボクは鉄道少年だった…

:c58 私が生まれ育った栃木県の地方都市には、当時の国鉄(現在JR東日本)両毛線と東武鉄道日光線とが走っていました。両毛線はまだ電化されておらず、蒸気機関車とディーゼルカー(当時は気動車と呼んでいました)が走っていて、私は汽笛と蒸気を排出するときの音響の素晴らしさ、それに大きな動輪とそれを連結するロッドのダイナミックな動きに魅せられて、いつの間にか大の蒸気機関車ファンになっていました。
 いつの間にかというのも変な話ですが、大きくなってから親に聞かされた話では、私は3・4歳の頃から汽車を見るのが好きで、時々一人で駅まで歩いて行って、改札口の横で何時間も汽車を眺める趣味があったそうです。もちろん親に「駅に行ってきま〜す」と告げるわけではないので、最初にそのアドベンチャーを敢行したときには家中大騒ぎになり、家族はもとより知り合いの人まで総動員して探し回ったそうです。駅から帰ってきた人が私を駅で見かけたという情報をくれたので、両親真っ青になって駅に駆けつけてみると、改札口の木の格子戸の隙間に腰をかけて、まんじりともせず汽車を眺めていたそうです。私の記憶には全くない出来事なので、気がついたときにはすでに鉄道少年になっていたとしか言えないのです。
 当時の両毛線を走っていた蒸気機関車は、9600形、C50形、それにC58形(写真=Nゲージモデル)で、花形はなんといってもC58。両毛線のC62的な存在でした。中学校の教室からはたんぼの向こうを走る両毛線を遠く望むことができ、オハ30系あたりだと思う客車を牽いて走るC58をよくスケッチしたものです。もちろん授業中に。当時のC58は学校の休み時間に合わせて走ってくれなかったのです。(今でもそうか)
 中学3年生になると教室は奥の校舎(正門から見ると表の校舎)に移ってしまい、教室の窓からは2年生までスケッチに使っていた校舎しか見えなくなってさみしい思いをしました。
 鉄道少年は当然ながら鉄道写真にも興味を持ち、当時富士フイルムがこども用に売り出したフジペットというバカチョンカメラを持って、日曜日には町はずれにある鉄橋のところまで行って、鉄橋を渡る列車の雄姿を遠くから近くから何枚も撮影しては悦に入っていたものでした。
 両毛線を2駅乗った小山という駅には機関区があって、転車台やら扇形機関庫やらが配備されていました。C11とかC12といったタンクロコがあるのも魅力でした。中学生になって一人で汽車や電車に乗ることを許された鉄道少年は、「去年までだったら半額だったのに」と思いつつも大人料金を払って、小山機関区まで遠征するようになっていきました。
 時は1950年代から1960年代へ移ろうという頃、日本が高度成長社会に突入する直前の、今から50年近い昔のお話しでした。
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