
第24回 「大器晩成vs栴檀(センダン)は双葉より芳し」
こつこつと努力を重ねているにもかかわらずいつになっても目の出ない人というのはどの世界にもいるものですね。そんな人が後年大成功した時に出てくる決まり文句が「大器晩成」という言葉です。そしてこの言葉はまた、いつになっても目の出ない人がくじけそうになるのを慰める言葉としても使われています。
「大器晩成という言葉もあるじゃないか。せっかくここまで頑張ってきたんだから、もう一踏ん張り続けてごらんよ。」というのが典型的な使い方です。時々は他人から言われるのではなく、自分で自分に言うこともあります。むなしいですけど。
これに対し「栴檀は双葉より芳し」という諺はまず、ほめ言葉以外には使われません。結婚式の披露宴で、お仲人さんが新郎新婦の幼少時代をを紹介する時によく使う言葉です。「栴檀は双葉より芳しと申しますが、新郎の△△さんはこどもの頃から○○に秀で、現在○○の中核を担う存在として頑張っておられます」というような使い方ですね。
でもへそ曲がりな私にはこういう使い方もできます。「栴檀はは双葉より芳しだと思ったけど、今になってみれば結局栴檀じゃなかったんだね」。もちろん大きく育ってからしか使えません。この使い方は「大器晩成」の使い方に似ています。「大器」にしても「栴檀」にしても、あとで花開いたからそう言えるのであって、大輪の花を開かせることができなければ、ただの目の出ない人、栴檀じゃなかった人でおしまいなのです。栴檀じゃなかった人には「桂の早跳び歩の餌食」という将棋の格言が待っています。そう「神童も二十過ぎればただの人」という川柳もありました。
まあ「大器」にしても「栴檀」にしても、大輪の花を咲かせる時期が早いか遅いかの違いを言っているわけですが、いずれにせよ、本人の素質が大きく関係することは事実です。
早いか遅いかを語れば、「善は急げ」という諺と「急いてはことを仕損じる」という諺とが好対照です。
現代の子育てにおいては、専門家と称する人たちから流されるもっともらしい情報はすべて「善」であるという前提が暗黙のうちに了解されている節がありますから、その情報に早く飛びついて実践することはまさに「善は急げ」ということになります。
さらに「臨界期」という言葉があって、ある時期を過ぎてしまうとその後どんなに努力しても獲得できない能力があるなんて脅されればなおさらのことです。
この一連の「急がせ情報」を分析すると、共通の図式が浮かび上がってきます。
まず、「すべての赤ちゃんには多くの素晴らしい能力が秘められています」という言葉で親をその気にさせます。「すべての赤ちゃんにすべての能力が」と言わないところがミソです。次に、「その能力を親のちょっとした努力で引き出し、伸ばして上げましょう」と親の責任感をくすぐります。「その能力」は始めから持っていないかもしれないのに・・・。
さらにだめ押しに「臨界期」という言葉で脅しをかけておいて、仕上げには、「このメソードで〇〇をした△△ちゃんはこんなにすごい」と実物を見せつけます。
そしてその子が10年、20年後にどうなったかは決して教えてくれません。
まさに「あとは野となれ山となれ」です。
そしてこういう「急がせ情報」が果たして「善」なのか、逆に子どもにとって「危険」なものなのかは本当はよくわかっていないのです。
危険だとわかっていれば「君子危うきに近寄らず」でしょうし、それでもわが子が人の子より先んじてほしいばかりに「虎穴に入らずんば虎子を得ず」と勇気(?)をふるう親もいるかもしれません。
今回は反対の意味を持つ諺をいくつかご紹介しましたが、世の中にはこのような反対諺が山ほどあります。ということは、「人生なんてあとになってみなけりゃわからないもの」ということを先人たちはよく理解していたということなののでしょう。きっと。
さてあなたのお子さんは「大器」なのでしょうか、それとも「栴檀」なのでしょうか?